今ちょうど、10年前のブログ記事 外国語学習の効能 を読み返して、外国語を学ぶことは日本語の再認識 の部分は今でも毎日そう思う。よく、英語を学ぶことは日本語の再認識 と書かなかった、と我ながら感心した。外国語は何語でもいい。なぜ、この部分にこだわるのかといえば、平泉渉参議院議員の「英語教育不要論」に端を発した、英語教育大論争(平泉渡部論争)があるからだ。英語を学ぶことは日本語の再認識は確か渡部昇一上智大学教授の主張だった。だから、英語教育は義務だ、とは私の中ではならない、私は平泉渉参議院議員の「英語教育不要論」を支持している。義務ではなく、英語は選択科目にするべきでだ。つまり、英語はやりたい人間だけがやればいい。何度も何度もくどいようだが、言葉は主権だ。近所の子供が小学校に入る前から英語塾に通っている、昨日は街中で「胎教コース」というものを見て大笑いしてしまった。英語教育に熱が入るのは「入試科目」に英語が入っているのが一番の原因だ。お隣の韓国ではソウル大学入試科目から日本語が外されると、日本語熱は一気に冷める。日本は意思疎通のほとんどが日本語で完結できる本当に恵まれている国なのだ。
参考リンク
http://bridge-english.blogspot.com/2013/12/82.html 住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち