2017年7月1日土曜日

フロリダの魅力


私は暑さに弱いのでフロリダに魅力を感じないが向こうの金持ちたちはフロリダが大好きのようだ。またフロリダで老後の年金暮らしをするお年寄りも多いようだ。 0:23 its blue skies, crystal waters and swaying palm trees make it (Florida) a winter party destination for the wealthy.

The Devastating 1926 Hurricane that Halted the Growth of Miami

フロリダといえば英語とスペイン語を話すバイリンガルが多い。フロリダの対岸はキューバーだからなんとなく納得が行く。フロリダにはスペイン語を話すヒスパニック・ラテン系人口が多い。ヒスパニックだからスペイン語はなんとなくわかるがラテン語も話して欲しい、、、。一応、Port of Miami, Port Everglades は東京、横浜のような位置関係で大型豪華客船がいつも出入りしている。

Port of Miami, Smith and Wollensky,January 28, 2012 16:31


Raw Video: World's Largest Cruise Ship

昨日の Boca Raton ボカラトン の記事について読者からメールを頂いた。許可を頂いたので全文を掲載させていただく。

おはようございます。XXです。

Boca Ratonの件ですが、ここには、私と私の家族に大変よくしてくれた人物が在住です。元ブルーウェーブでプレーしたD.JことDoug Jenningsです。

出会いは ’97年5月、給料日間近、所有日本銀行券僅か4千円。ビールと軽食で済ます野球観戦となりました。ボールを手に球場到着早々、本人を見つけサインを貰いました。以来、気付いた方から声を掛け合う仲になりました。私が語るスタルヒン(日本初の300勝投手)や、日米異なる国で異なるプロ・スポーツでメジャーだったウォーリー・与那嶺(元サンフランシスコ・49ersハーフバック、元巨人)のことなどに聞入っていたのを思い出します。試合終了後、ちゃっかり車に乗っけてもらうこともありました。

'95、'96のパ連覇貢献の彼も、'97の大半は二軍。しかし、フックグリップから繰り出す打球は依然凄まじく、勝負強さも格が違っていました。何よりファンに温かい。みんな、D.Jが好きでした。有名な野球著書に「the Boys of Summer」なる秀作がありますが、D.Jに会ったその日から彼の大ファンになった当時10歳と8歳だった二人の息子は、まさにボーイズ・オブ・サマーとして熱い声援を送り、彼もそれに応えてくれました。 

それでも、別れの日はやって来ます。日本での最終試合の後、何んと彼は私に’96 Japan Series D.Jと書かれた実使用ヘルメット、ジャージ、バットなどを手渡してくれたのです。“My kids and I’ll miss you, D.J. ”と口にするのが精一杯でした。球場を後に駅へ向かう私の横に車が滑り込んで来ます。D.Jです。“ Keep in touch! ”と貰ったのはフロリダのアドレスでした。9月10日(奇しくも私の誕生日!)15時発ノースウェスト機で帰国の途につくとのこと。当日、私と通訳、ファンのカップル、彼がタイガーと呼んでいた男の子とその母親とで見送りました。彼を乗せたジェットが滑走路を滑り出す。機首を持ち上げるや、それは、あっという間に点と成り、空の彼方に消えて行きました。そして、その瞬間、私の’97年夏もまた終わったのでした。

なお、2017年6月29日のderailment 脱線の件ですが、0:01 a Canadian train has derailed .......のCanadianのあとにはfreightが発音されているように思いますが。

長文失礼いたします。


この読者から指摘された箇所は私のミスで修正しておきました。私のミスを正してくれたこの読者に感謝します。