2018年8月6日月曜日

私の英語ノート 2018/08/06


子供は言葉を学ぶ時に「なぜ」を連発しない。言葉の勉強では「なぜ」はあとまわしにしても構わない。なぜそういえるのかといえば、「なぜ」という疑問に答えがあろうとなかろうと、言葉はすでにそこに存在して使われているからで、「なぜ」という疑問は自己を満足させる役にしかたたない。そんな時間があれば単語の一つでも余計におぼえるほうが得だとおもう。ある程度の単語、イディオムの力がついてくると、「なぜ」という疑問は自然に解けてくるものだ。0;52 みずやあけぼのつゆあびて、われにものいうさくらぎを、みずやゆうぐれてをのべて、われさしまねくあおやぎを 注;私も読者も滝廉太郎の「花」を「なぜ」といわず大体このようにおぼえたはずだ。

「花」 瀧廉太郎 墨田区民愛唱歌 すみだ少年少女合唱団

何度も歌っていると、「みずやあけぼの露浴びて、我にものいう桜木を、みずや夕暮れ手を伸べて、我差し招く青柳を」のことだとわかってくる。そしてよくよく考えると、「見ずやあけぼの露浴びて、我にものいう桜木を、見ずや夕暮れ手を伸べて、我差し招く青柳を」だと理解できるようになる。