2014年5月11日日曜日

キリストが実在しなかった証拠


キリストが実在しなかった証拠は、遺骨がない、墓がない、この二点で十分だと思う。もちろん普通の人間に、お前は遺骨も墓もないから生まれた記録はないのだ、といえばかなりの暴論になる。しかし、遺骨がない、墓がないのが、そもそもキリストが存在しなかった十分な証拠だとおもう。この二点はキリストに限っては無いでは済まされないことだ。天に昇ったから、骨がないでは困る。骨くらい置いていけよ。よみがえるのは勝手だが墓は残していけ。昔の人間は現実と空想の区別がつかなかったのだろう。かの源義経が壇ノ浦の戦いで見せた「八艘飛び」にしても、夢物語だ。ありえないことが実在した人間と合体している。源義経は約900年前の人物、かたやキリスト物語は約2000年の話だ。五切れのパンと二匹の魚を五千人が食べて満腹し、なおかつ食べ残しがあった話なども、もうむちゃくちゃだ。聖書にはこのようなキリストによる荒唐無稽な話がいくつもあるが、キリストがいようがいまいがそんなことは大した問題ではない。大切なことは聖書の役割をしることだ。「人に厳しく自分には甘い」というのは人間の性のような気がする。神のお言葉を聞いた人間、それを書き記した人間とはいったい誰のことか?平民ではない。神官や王だ。奴らも人に厳しく自分には甘かった。聖書とは上の者が下の者をすなおに従わせるための道具だったことを見逃してはいけない。そもそも宗教が人々を幸せにしたためしはないだろう。宗教とは支配する側の人間のみを幸せにする金のなる木のことだ。2:12 it's may be indicative of the way that a lot of people in power behave, which is it's one rule for them and another rule for the rest of people who don't have so much money and don't have so much power. ブルネイ王国の国王は国民に課した厳格なイスラム戒律を自らが破っていた。私は王国のハーレムにいたからそれを目の当たりにした。そこで言える事は、権力の座にあるものは自分には甘い法を、金も権力もない者には厳しい掟を課すという、支配者には都合のいいやり方だった。


参考リンク
http://www.asahi.com/articles/ASG5Y4GJRG5YTNAB006.html?iref=comtop_photo  「河童の手足」このように物証らしきものがあれば、キリスト神話も多少の説得力が出てくる。キリスト教をうんぬんする前に必要不可欠なものはキリストの骨だ。死んでよみがえった、水の上を歩いた、ではまるでお話にならない。