2013年7月28日日曜日

英語力よりも人間力


正しい語学の学習方法とは渡部昇一氏の「知的生活の方法」によれば教室で学ぶものではなく生活で学ぶものらしい。英文学者としての夏目漱石が生涯英語を苦痛に感じ、余生のほとんどを漢文の世界に遊んだ理由は、漢文は幼い頃から親しんだのに対して、英語は教室で強制的に学んだためらしい。そういうものかもしれないが、私はまずは日本語をつかえる日本人になれ、そして他の言葉をまなびたければ日本語をマスターした後で徹底的にやればいいとおもう。徹底的にやるからには向こうの人間に負けないくらいの語学力を身につけろ、だ。英語をやるからにはイギリス人、アメリカ人に負けないくらいの教養を知識を叩き込むべきだと思う。もちろん方法論としては暗記、暗記、暗記。聞き流すだけというようなお手軽な方法は存在しない。英語をどうしても公用語にしたいとか、小学生から英語義務養育とか、英語の素人たちがよってたかって日本語を英語の属国語にしたい風潮が高まっていたので、正直飽き飽きしていた。しかし「英語力よりも人間力?」という明るいニュースが目にとまり、思わず小膝を打ってしまった。英語の力は正しい方法で学習した時間に正比例するがそれは学習する年齢が若ければ若い方がいいということではない。確固とした自己、自国語があるのが大前提なので、英語を学習するのは日本語の後回しとなる。従って英語教育をはじめる理想的年齢はどうしても十代の後半以降となる。十代の後半から英語を突貫工事で完璧にするのはやや辛いが無理な注文ではない。語学に関してハンディーを背負っているからには何かで挽回しなくてはならずその何かがつまりは人間性、、、つまり人間の中身の問題ということだ。